文体練習_190531

 これから先の人生でうれしいことや楽しいことがなかったとしても、かつての楽しかった記憶さえあれば励まされるというのは大げさにしても、ブンやピルルと別れる時が来てもブンやピルルとの楽しかった記憶によってきっと乗り越えられるというのも、人にはきっと大げさに聞こえるだろうがそれぐらいの気持ちではある。人は七十か八十になったら過去の楽しかった記憶だけを反芻して生きていけるのだとしたら、それらを思い出すためのきっかけになる外からの刺激が必要だから、家の中で一日中テレビを見ている老人とかは、テレビの内容を見ているのでなく過去の思い出を引き出す刺激を見ているのではないか。――保坂和志『未明の闘争』

ここ最近丸亀製麺釜玉うどんにハマっていて、昨日も仕事帰りに食べたにもかかわらず今日も仕事帰りに寄ったのだが、今日はどういうわけか信じられないほど多くの人々がおれの行きつけの丸亀製麺に押しかけていて駐車場も満員だった。おれは面倒くさいなと思ったが今日はどうしても丸亀製麺釜玉うどんが食べたかったので、ひっきりなしに駐車場を出入りする車を忙しなく誘導しまっくている係員の指示に従い、駐車スペースが空くまでしばらく往生した後でようやく駐車して丸亀製麺に向かった。そこで気がついた。ソフトバンクのユーザーを対象に、金曜限定でうどんが一杯無料になるクーポン的なものが店先で配布されていたのである。おれの携帯はドコモだからおれはこのキャンペーンとは一切関係がない。おれは帰ってやろうかと思ったが今日はどうしても丸亀製麺釜玉うどんが食べたかったので仕方なく行列に並んだ。周りの客、客、客、客、客を見るとそのほとんどがスマホを操作し、アルバイトと思しき死にかけのような表情(陳腐な比喩ではなく本当に!)の若い男に向かってスマホの画面を提示し、うどん一杯無料クーポンを我先にと入手しているのだった。家族連れがおり、若者のグループがおり、老夫婦と思しき男女がおり、みな一様に無料クーポンを求め行列に並んでいた。クーポンを得る権利もなく、ただ釜玉うどんが食べたい一心で行列に紛れ込みその様子を眺めていたおれは考えた。あなた方はそのクーポンによって一杯のうどんを無料で得ることができたかもしれない。しかしあなた方はそれと同時に、たった一杯のうどん以上のなにかを失ってはいないだろうか?

会社の行き帰りはドレスコーズの『平凡』を聴いていた。

ドレスコーズは今月の初めに出たばかりの『ジャズ』もすばらしいが、楽曲の強度でいったら2017年に出たこの『平凡』の方が個人的な感想としてはすごい。POLYSICSのハヤシがギター、元ZAZEN BOYS吉田一郎がベースで参加していてとてつもなくファンクだ。といっておきながらおれはファンクについて詳しくはないが『平凡』にはそれを感じた。おれの乏しい音楽的知識でいうと、暗黒大陸じゃがたらの『南蛮渡来』が2017年に蘇った感じというのがせいぜいだ。暗黒大陸じゃがたらJAGATARASpotifyにはない。

『平凡』以降、というか志磨遼平以外のメンバーが抜けてひとりぼっち体制になって以降のドレスコーズはなんというかすさまじくて、といっても『平凡』以前の『1』と『オーディション』をまともに聴いていないばかりか、『平凡』と『ジャズ』の間の『ドレスコーズの「三文オペラ」』さえ聴いていないおれが言えることではないのかもしれないが、近年のドレスコーズ=志磨遼平の作る音楽には、ゲストの豪華さとは別の意味で特に磨きがかかったように感じる。なおかつメロディがキャッチ―なのがいい。ファンクネスとポップネス。『平凡』でいうところの「アートvsデザイン」の理想的な共存。

今週はその他に椎名林檎の新譜やHAPPYの1stや曽我部恵一BANDの1stなどを聴いていたが正直言って今週はそれどころではなかった。その日は日曜だったがいつもの習慣で朝6時頃に一度目が覚めて、携帯を確認すると雨宮まりからラインの通知が来ていた。通知には、

私今から仕事なのでしばらくライン見れませんが、ご検討よろしくお願いします!

と表示されていて着信は1時間前となっていた。6時に見た時点で1時間経っていたわけだから雨宮まりがこのラインを送ったのは5時頃ということだ。朝早えな!という考えが真ッ先に浮かんだがすぐに、雨宮まり?!なんで?!今?!ご検討ってなに?!という考えが脳内の大半を占めた。雨宮まりは大学時代の部活の2つ年下の後輩で、おれは大学3回生のときに雨宮まりを誘って二人でエレファントカシマシのライブを見に大阪へ行った。後日、おれが今度は雨宮まりを食事に誘ったら、雨宮まりの周囲がおれの想いをそれとなく察してそのことを本人に伝えたところ雨宮まりもそれを察して、食事そのものは実現したが雨宮まりが同期数人に声をかけた上におれはおれで同期のタイガーを誘って結局わけのわからない結果に終わり、それからおれは深い悲しみに沈んだまま就活に突入するなどして雨宮まりとのつながりもそれきりになった。それから3年以上の月日が経過したわけだ。今年は3月に大学を卒業して社会人1年目になる年だろうということは自分が社会人3年目になったことから逆算して認識していたが、実際に雨宮まりがどのような進路を選択して今どこにいるのかということさえ知らなかった状態で唐突にそんな連絡が来たものだから、朝5時に出勤するという雨宮まりの職業以上に気になることや疑問は次々に浮かんだ。ラインを開くと、6月にプロ野球の試合を部活の同期の川田君と見に行くのだが他の野球好きの先輩方にも声をかけて欲しいという内容だった。ナイターとはいえ平日ですし、阪神楽天なので、先輩ももし興味があれば来ていただけると嬉しいです!

たしかにおれの同期のタイガー(巨人ファン)や北﨑さん(巨人ファン)は野球好きだが、そもそも雨宮まりがおれにラインを送ってくる意味がわからない。おれを経由して他のおれの同期を誘いたいなら川田君が送ってくればいい。だいぶ急やな!!声かけるのは全然ええけど、なにゆえそんな急に?

私の職場の人が、そのチケットを持ってて、行けなくなったから雨宮さんにあげるって話になんとなくなったんです。うわーい!って喜んでたんですけど、連休後には違う人の手に渡ってて…😱 せっかく岡山に阪神来るのになぁと思って、野球分かる川田くんに行こうや!って声かけて、じゃあ誰誘おう?からの、先輩達と一緒に野球見に行きたいって言いながら行ってないなー…声かけてみよう! の流れです笑

というようなやりとりをしていても実感がない。2019年にもなって雨宮まりから連絡が来るなんて考えもしなかった。雨宮まりがおれの人生にこのような形でふたたび登場するとは夢にも思わなかった。雨宮まりはおれの目の前を通り過ぎていく幾多の人間のひとりだと思っていた。3年前の顛末をよく知るタイガーも今回のことは信じられない様子で、最初に雨宮まりから来たラインのスクリーンショットを送ったときはわざわざ電話を寄越してくれた。いやどういうことやねん! おれにもわからんわ! 怪しいというかもはや怖え! そんなやりとりをタイガーと交わしながらも雨宮まりとのラインは続いていて、これまたとつぜん雨宮まりが、やっとトイストーリー観ました泣きました、と書いてきた。雨宮まりがそんなことを覚えていたとは到底思えないが、おれは3年前の大阪の帰りの新幹線での雨宮まりとの会話を思い出した。北浦さんが好きなのってピクサー映画でしたっけ?

そう! ピクサー見たことある?

私、トイ・ストーリー1しか見たことないんです。

マジで? それは貸すよ、貸す貸す!

えっ、そんな……

おれDVD持っとるから!

えっ? DVD?

うん。

あっ、そういうことか。

ん? どういうこと?

私がピクサー見たことないから、それはカスだ!って言われたのかと思いました!

なんやそれ!

という長い間ずっと忘れていた会話を、おれは雨宮まりから連絡が来なかったらきっと思い出すことはなかった。思い出そうが忘れたままでいようがどうでもいいようなやりとりだと、言ってしまえばそれまでではある。たしかに自分の人生の指針となるような大それた記憶ではないかもしれない。しかしふとしたきっかけで思い出したときに、ほんの微細な力で自分の背中を押してくれるような、これからの人生に少しばかりの光が差し込まれるような、そういう作用を持った記憶であることには間違いがなくて、おれはそういう記憶の集積で生きているようなものだと今週になってようやく思い至った。おれはタイガーと北﨑さんにも声をかけて野球観戦に行くことにした。