餃子名人伝

 都に住む蒼水という男が、天下第一の餃子の名人になろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今餃子をとっては、名手・煙韮に及ぶ者があろうとは思われぬ。蒼水は遥々煙韮をたずねてその門に入った。
 煙韮は新入の門人に、先ず油を学べと命じた。蒼水は市場に寄って種々雑多の油を購めた後で家に帰り、その油を各々壺に注いで舐め比べた。各々の味の相違を識る為の工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。来る日も来る日も彼は油を舐め、修練を重ねる。二年の後には、大鍋の芋煮に入った一滴の胡麻油の味を判ずるに及んで、彼は漸く自信を得て、師の煙韮にこれを告げた。
 それを聞いて煙韮がいう。油を識るのみでは未だ餃道を授けるに足りぬ。次には、平常心を学べ。平常心に熟して、万事に中ろうとも動ずることのなくなったならば、来って我に告げるがよいと。
 蒼水は再び家に戻り、庭の大岩に胡坐する生活を始めた。風物は次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽は何時か烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。蒼水は根気よく、大岩の上で不動の日々を過した。そして三年の後、ついに、彼の目の睫毛に小さな一匹の蓑虫が吊り下がり、居を構えるに至った。
 蒼水は早速師の許に赴いてこれを報ずる。煙韮は高蹈して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに餃術の奥儀秘伝を剰すところなく蒼水に授け始めた。
 基礎訓練に五年もかけた甲斐があって蒼水の腕前の上達は、驚くほど速い。
 奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに蒼水が餃子を焼くに、絢爛美々たる羽根を焼きつける。一月の後、平鍋に並んだ百余個の餃子に万遍なく火を通す。傍で見ていた師の煙韮も思わず「善し!」と言った。


 最早師から学び取るべき何ものも無くなった或日、煙韮はこの非凡な弟子に向って言った。最早、伝うべき程のことは悉く伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方餃山の嶮に攀じ、その頂を極めよ。そこには蒜鏡老師とて古今を曠しゅうする餃道の大家がおられる筈。老師の技に比べれば、我々の餃子の如きは殆ど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は蒜鏡師の外にあるまいと。


 蒼水は直ぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技の如き児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の自尊心にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って腕を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛を傷つけ、危巌を攀じ桟道を渡って、一月の後に彼は漸く目指す山顛に辿りつく。
 気負い立つ蒼水を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、白髯は歩く時も地に曳きずっている。
 相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく蒼水は来意を告げる。己が技の程を見て貰いたい旨を述べると、あせり立った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり背に負うた平鍋を手に執った。そうして、忽ち狐色の羽根の付いた餃子を焼き上げてみせた。
 一通り出来るようじゃな、と老人が穏やかな微笑を含んで言う。だが、それは所詮餃之餃子というもの、好漢未だ不餃之餃子を知らぬと見える。
 ムッとした蒼水を導いて、老隠者は、其処から二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの屏風の如き壁立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える渓流を一寸覗いただけで忽ち眩暈を感ずる程の高さである。その断崖から半ば宙に乗出した危石の上につかつかと老人は駈上り、では餃子というものをお目にかけようかな、と言った。蒼水はすぐに気が付いて言った。しかし、平鍋はどうなさる? 平鍋は? 老人は素手だったのである。平鍋? と老人は笑う。平鍋の要る中はまだ餃之餃子じゃ。不餃之餃子には、鐵の平鍋も烏漆の菜箸もいらぬ。
 ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿を暫く見上げていた蒜鏡が、やがて、甲高く狗吠の如き声をうぉんとあげれば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石の如くに落ちて来るや、その姿はみるみる餃子へと変身し、馥郁たる薫香を漂わせ始めるではないか。
 蒼水は慄然とした。今にして始めて餃道の深淵を覗き得た心地であった。


 九年の間、蒼水はこの老名人の許に留まった。その間如何なる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
 九年たって山を降りて来た時、人々は蒼水の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂は何処かに影をひそめ、何の表情も無い、木偶の如く愚者の如き容貌に変っている。久しぶりに旧師の煙韮を訪ねた時、しかし、煙韮はこの顔付を一見すると感嘆して叫んだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
 都は、天下一の名人となって戻って来た蒼水を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその妙技への期待に湧返った。
 ところが蒼水は一向にその要望に応えようとしない。いや、平鍋さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に携えて行った強靭堅固の平鍋も何処かへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、蒼水は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至餃は焼くことなしと。成程と、至極物分りのいい都人士は直ぐに合点した。平鍋を執らざる餃子の名人は彼等の誇となった。蒼水が平鍋に触れなければ触れない程、彼の無敵の評判は愈々喧伝された。


 蒜鏡師の許を辞してから四十年の後、蒼水は静かに、誠に煙の如く静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて餃子を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、平鍋を執っての活動などあろう筈が無い。勿論、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大活躍をさせて、名人の真に名人たる所以を明らかにしたいのは山々ながら、一方、又、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼に就いては唯無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
 その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。或日老いたる蒼水が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの料理を出された。確かに見憶えのある料理だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その味も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ料理で、又どんな味がするのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老蒼水は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度蒼水が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼は殆ど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
「ああ、夫子が、――古今無双の餃子の名人たる夫子が、餃子を忘れ果てられたとや? ああ、餃子という名も、その味すらも!」
 その後当分の間、都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、ゲーマーはコントローラーを手にするのを恥じたということである。

 

引用・参考文献
中島敦『李陵・山月記新潮文庫)』(新潮社,1969年)