長谷川白紙、君島大空、betcover!!

「足広げて椅子に座んな無能が!」
「足を広げて椅子に座る…無…能が……」
「ツーペアではしゃぐな正月の凧あげブスが!」
「ツーペアで、はしゃぐなお正月の…凧あげ……」
レッドキング並みに小顔だな~~~~ドクソ!」
「お笑いの語りやすさに気付かず語ってる奴、全員死んでくれ!」
「安い黄色いワンタンみたいなチンコしやがって」
「安い黄色いワンタン…チンコ……」
「お笑いの語りやすさに気付かず語ってる奴、頼むから死んでくれ!」

(乗代雄介『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』より「レッスン1は死ねボケナス」)

ブログを書いていなかった約1年半の間に世界は一変した。志村けんが亡くなり、シャムキャッツは解散し、じゃがたらSpotifyで聴けるようになった。おれには彼女ができたが友人のタイガーは大学時代から5年近く付き合っていた彼女と別れた。いま「彼女」と書いた2箇所を一度「恋人」に直してから再び「彼女」に戻したところだが、そんな風に、文字に起こすとなんとも覚束ないというか居心地の悪くなるような類の話題であるので今のところ深掘りするつもりはない。

その他の私的な変化点といったら、仕事が忙しくなったとかレコードの所蔵枚数が激増したとか、未だにほぼ毎日欠かさず『あつまれ どうぶつの森』をやっているとかその程度で、今日は忙しい仕事の合間を縫って午後半休を取得して年に一度の健康診断を受けてきた。ちょうど免許更新の時期とも重なっていたので、どうせなら同じ日に済ませてしまおうと健康診断が終わってから病院の近くの警察署に向かったのだが、警察署での更新時には写真を持参する必要がある、倉敷運転免許センターでの更新なら写真の持参は不要だと言われたのが15:10のこと。事前の確認を怠っていたおれは写真を用意していなかった。センターの最終受付は15:30だったので、半ば諦めつつそれでもとにかく急いでセンターに向かったものの、渋滞やら何やらで間に合わず結局免許更新はできなかった。車中では長谷川白紙の『エアにに』を流していた。

昨年このアルバムが出るまで、長谷川白紙の音楽は難解だというイメージがおれにはあったのだが、アルバム冒頭の「あなただけ」は一発で好きになった。一度「あなただけ」を聴くと、不思議なことに他の長谷川白紙の楽曲も以前より楽しんで聴けるようになった感じがした。おれの頭が柔らかくなったというよりは、長谷川白紙がおれたちのような人間のいる地平まで降りてきてくれた、という解釈が正しい気がする。以前このブログでも書いた姫乃たま『パノラマ街道まっしぐら』に長谷川白紙が提供した「いつくしい日々」も、『エアにに』の中でセルフ・カバーしているがこれもいい。エアにに、という言葉の意味はよくわからないけれども。

と、おれが昨年出たアルバムをいま聴いているのはなぜかというと、長谷川白紙と近いジャンルにいる、というかSpotifyの「これもおすすめ」欄に互いの名前がいちばんに載りあうような関係の君島大空のミニ・アルバム『縫層』が今日リリースされたからで、おれは深夜0時にSpotifyで聴けるようになってすぐにスマホから垂れ流しながらそのまま入眠した。

なんだか最近聴いている音楽を紹介するだけのブログになってしまいそうであるが、1年半前に書いていた内容を見返してみると同じようなものだった。当時はまだ部活の後輩でしかなかった今の彼女に誘われて野球に行くことを決めた日のブログが印象的すぎて、脈略なく好きなことを書くという最初のスタンスを忘れかけていたようだ。もうひとつ過去のブログを見返していて思ったことだが、長谷川白紙も君島大空も音楽は好きだが歌詞がひとつもわからない。よって引用したい箇所もない。CDを買わずにサブスクで聴いているからかもしれない。大学の頃に音楽好きの後輩が、自分は歌詞云々には拘泥せず曲の良さだけで音楽の好悪を判断している、といった旨のことを言っていて、どちらかといえば曲も歌詞も重んじるタイプのおれは軽くコンプレックスを感じたものだったが、今となってはどうでもよいことである。

長谷川白紙も君島大空もおれより年下のミュージシャンで、ここ数年は崎山蒼志とか藤井風(タイガーに聴かせると、生ぬるい!と一蹴していた)とか若い世代の台頭著しく、それをお笑い第7世代のような感じでナントカ世代と呼んでよいのかどうかは判然としないまでも、かれら若い世代のなかでおれはbetcover!!がいちばん好きだ。今年出た『告白』もいいが、昨年出たデビュー・アルバムがとにかくすばらしい。

『中学生』という人を食ったような名前のこのアルバムでまず好きになったのはギターの音。1曲目の「羽」を聴いてもらえば早いのだが、全体を通して圧倒的に信用できる音しか鳴っていない、という感覚があった。また音だけでなく歌詞に描かれる内容も印象的だ。町田康も対談で褒めていた。

www.cinra.net

『エアにに』と比べるとあまり話題に上っているのを見たことがない、という事実に微かな怒りを感じるほどに、『中学生』は今後何十年も語り継がれるべきアルバムだとおれは思う。対談の中で町田康が言っているように、歌詞を独立させて考えるのは危険なことであるし、音楽そのもののほんとうの魅力を伝えることにはならないかもしれないが、最後に『中学生』の中で好きな歌詞をいくつか貼って終わりにする。

おそらく今後も仕事の忙しさ等々でブログを書く時間を捻出するのは難しい。また次は1年半後か、もしかするともっと先になるかもしれない。それでも出来うる限り、そう出来うる限り己自身の道を歩むべく、反抗を続けてみようじゃないか。ガストロンジャー。

風のさ
取り巻きと語り合って
悲しいことも
忘れられたらいいのに

(羽 / betcover!!)

夏の荒野をかける遠吠え
鉛筆の芯の白い光
それは天から与えられた役
抜け駆けは許されん
ざらしに忘れられた家の中で
もっと気まぐれに話をすれば
良かった

(異星人 / betcover!!)

明日意外の朝を迎えたい

(決壊 / betcover!!)

なくすべきものは
早めになくそう

(雲の上 / betcover!!)