真空ジェシカのM-1決勝進出と、betcover!!『時間』の話

もう、分かるだろう。警備員は、顔馴染みの社員から、どこそこの階の何とか課に書類を届けておいてと頼まれ、巡視のついでに配達することがあった。そこに、新しく大型の連絡箱が設置された。中には気を利かせる警備員だって出て来る。きっとこんなことを言ったんだ。「そこは私が回る予定の場所に入っていないから、書類に宛名と差し出し人の名を書いて、連絡箱の中に放り込んどいて下さい」それを出発点にして、朝までに配達してほしい書類は連絡箱に入れておくという習慣が確立するまでに、大して時間はかからなかっただろう。そのうち、警備員と親しくない奴まで使い始める。連絡箱は、いつしか「ポスト」と呼ばれるようになり、『社内局』なんてものの存在がまことしやかに語られ、信じられるようになった。

伊井直行『さして重要でない一日』)

日々の忙しさにかまけることなくインプット、インプット、インプットを続けられていることに安心・慢心してアウトプットを怠っていると、どれほど鮮烈な感慨であっても次第に薄まってしまい、それを止めることは容易ではない。あの小説がよかったとかあの曲がよかったとか、アニメの『ODDTAXI』が面白かったとか、ひとときの感慨は知らず知らずのうちに忘却されるか、よくて単なる記録へと成り果てる。そんな事柄を忘れずに覚えておきたいと思いながらも、忙しない毎日の中でこまめにアウトプットを続けることの大変さといったら尋常ではなく、そうは言っても可能な限り流されたくない、抗いたいと思いながらしたためているのがこのブログではあるのだけれど、前回の記事からまたまた1年近く経過してしまった。あの時点ではまだM-1グランプリ2020でまさかマヂカルラブリーが優勝するなんて考えもしなかった。そのM-1グランプリの今年の決勝進出者が先日発表された。

おれの好きな真空ジェシカが選ばれたことは当然嬉しくはあるのだが、世代・界隈を限定したネタに重きを置く、いわゆる内輪ネタと喝破されかねない真空ジェシカの笑いが、M-1決勝の舞台で好意的に評価されるだろうかと不毛な心配をしてしまう。同じくおれの好きなジェラードンが今年のキングオブコントの決勝に進出したときも似たような不安を感じたものだった。もちろんジェラードンジェラードンらしく、真空ジェシカ真空ジェシカらしく自分たちのやりたい笑いを突き詰めてほしいし、真空ジェシカは上で書いた芸風ではあるがM-1の予選では万人ウケしそうなネタもきっちり用意する周到さも持ち合わせているので、基本的にM-1決勝は楽しみである。おれの好きな真空ジェシカのネタを貼ろうかと思ったが、決勝に向けたネタバレ対策か公式チャンネルのネタ動画が軒並み非公開にされていたのでラフターナイトの動画と、公式チャンネルに残っていた単独RTAの動画を貼る。(決勝ネタ終わりに逆ニッチェで登場してほしい気持ち半分、正々堂々と戦ってほしい気持ち半分)

真空ジェシカの他にも、3年連続決勝進出のオズワルドとか、昨年の敗者復活で最下位となり「国民最低~」と言っていたランジャタイとか、いずれも楽しみなメンツではあるのだが、決勝進出コンビの来歴がどうとか下馬評がどうとか、敗者復活組の豪華さについてとかは他で散々触れられているのでここでは書かない。

ところで昨年のM-1の決勝翌日の月曜、職場でM-1の話をしている何人かに出くわしたがいずれもマヂカルラブリーの優勝に納得がいっていない様子で、今年のM-1はよくわからなかったと声を揃えて言っていた記憶がある。もしそれらの意見が世間一般の総意と大差ないとするならば、昨年に輪をかけて混迷を極めること必至のM-1グランプリ2021は、ますます世間一般の人間にとってとっつきにくいものになってゆくのだろうか。おれは常々「お笑いのサブカル化」ということを考えながら、純文学もロック音楽もサブカルだ、お笑いだってサブカルになってしまえ! という思いを新たにしつつ、とはいえ大衆と呼ばれる大多数の人々を楽しませてこそのお笑いだよね、てな気持ちもやっぱり捨てきれない。わかる人にだけわかる、が普通になってしまったらお笑いは駄目だと思う一方で、おれのようなオタクが求めるのはそういう芸風だったり芸人だったりするのが大いにジレンマだ。そんな小難しいことは考えず、頭を空っぽにして純粋に笑っていられるほうがぜったいにいい。それはわかっている。

先日友人のタイガーから、お前は音楽を聴くとき、どこを好んで聴くのか? という旨の質問をされた。本音を言えば、それはひと言で要約できる類のものではないし言葉にできるものですらない、と返したかったところだがタイガーはそういう答えを受け付けない人間なので、おれは必死になって言葉を尽くそうと努力したのだけれど、たとえば歌詞? とかも大事やとは思うけど、洋楽は歌詞なんか全然わからんけど好きなもんは聴くしな。ふーん、でも流行りの曲とかは聴かんのやろ? や、流行りの音楽やから聴かんってわけじゃなくて、流行っててもいいなと思ったものは聴くし、ただ歌詞とかが最近の曲は捻りがないというか、ストレートすぎるというか、同じことを歌うにしてもちょっと変な、わかりにくい言い回しとかしてるほうが好きやなおれは、スピッツとかそうやし、あとはまああれかな、人気があるよりは人気がないほうを応援したくなるというか、そういう気持ちの面というか、バンドとかそうやし、と、おれは言葉を尽くすがまったく核心に触れられていないどころか、結局音楽好きとか言いつつ音楽のなにを好き好んで聴いているのか? 言い回しとか人気のなさとかアティテュードとか、結局音楽以外の部分で選り好んで聴いているんじゃないのか? といった自己批判の声がだんだん自分の中で大きくなるのを意識しながら、話は平行線を辿ったまま尻すぼみになっていった。

おれがもっと言葉とその使い方を知っていれば、おれの感じたことや考えていることをより正確に表現することができるのに、という思いは、浅学なりに日々知識をつければつけるほど深まる一方だが、そんなこと言ったって好きなもんは好きなんだし好きでいられてるんだからいいじゃーん、という怠け者の自分もちょくちょく顔を出す。そうやって正当化するならばせめて、なにを感じてなにを考えていたかということを拙いながらも言葉で書き残すことくらいはやっておこうと、今こうやってだらだらとブログを書きながら考えているところだ。

ここ数年ほど、その年に出た新しい音楽の中で自分が気に入ったものをアルバム単位・曲単位で振り返り、まとめる作業を続けている。本当なら結果を記事にでもして書き残しておきたいのだがそんな体力もなく、Spotifyのプレイリストを作る程度で済ませている。今年はまだ諦めていない。昨年のアルバムの一番はBBHFの『BBHF1 -南下する青年-』で、今年はbetcover!!の『時間』だ。

betcover!!のアルバムは2019年のデビュー以降毎年ランキングに入れているし前回の記事でも紹介しているが、今回の『時間』は音楽好き界隈からの評価も特に高いようで、Rate Your Musicという海外の音楽レビュー・サイトで好意的に取り上げられていたり、Twitterの好事家たちがこぞって絶賛していたり、みのミュージックで紹介されていたりしたのを見た。おれはギターの音色で言えば前々作にあたるデビュー・アルバムの『中学生』のほうが好みだが、トータルの統一感で言えば『時間』は圧倒的だ。各楽器の狂暴的な演奏を前面に出しつつ、不穏さとキャッチ―さとが入り混じるメロディ・ラインや、哀切な懐かしみを湛えた歌詞と、これまでのbetcover!!の音楽にもあった要素が各々強度を増しながら、これまで以上に有機的に絡み合っているような印象を受けた。全曲よかったが特に「あいどる」がおれは好きだ。

はみ出してしまったね

どうしたいのかわからないけど

これから起きること全部

ユメでよかった

(あいどる / betcover!!)

Twitterやブログに書かれた小説や音楽の感想を検索して読むことが多い。どの人も自分の好きなもの・ことを適切に言葉で表現できてすごい、とおれは思う。おれがこの音楽/小説/お笑いを好きな理由は言葉じゃ説明できない、と宣うのは結構な話であるが、言葉で説明できない気持ちは誰にも知られないままいつか消えてしまう。それを承知で居直るか、人に伝えられるよう努力を続けるか。今のおれは後者でありたい。なんだか暗い締め括りになってしまった感もあるので、最後にタイガーとおれがやっているラジオ番組のCMを貼って終わりにする。